lilja2.jpg NOTE #1

観てすぐにおもったこと(2002年9月)

果てることなく続く救いようのない現実、
それでもその先に希望はあるんだろうか? 

「ショー・ミ・ラヴ」などで国内外で人気を集めた若手監督
ルーカス・ムーディソンは、新作”Lilja 4-ever”でそう問いかけた。
旧共産諸国から西ヨーロッパに連れて来られる若い女の子たち、
仕事を約束されて着いた先は売春斡旋所だった、というルポはよく目にする。
ムーディソンはフィクションという方法を使ってその人身売買の現実を、
より強烈に描き出してみせた。
彼はこの状況に対する憤り、世界に対する憤りを表すことを躊躇しない。
その態度はとても誠実で、そしてそれはわたしが信じたい類の誠実さだ。
それは決して偽善でもない。
自分のいる世界に対する内からこみ上げてきた怒りだからこそ、
彼はこの映画を自分の町を舞台にして撮って表したのだ。
劇中のマルメの空はどうしようもなく重くて汚い灰色で、
実際そうなのだけど、そんなふうにこのくにの空を撮ったひとはいない気がする。

それでも、希望はあるのか。

最後に主人公に呼びかけられる空からの声がいまも強く残っている。
「こんなどうしようもない世界。
 でもそれは君が持ってるたったひとつのものなんだ」
生きていくこと生き続けていくこと、それが、希望なんだろうか。

ふらふらになって映画館を出て帰ってきたらついていたTVで、
カンボジアでクメールルージュ政権時に行われた虐殺、
それに対する断罪と賠償を求める運動に関するルポが数分流れていたのを、
重い気持ちで観るともなくみていた。裁くか裁けないか、という問題だった。
夫も兄弟もそして家族のほとんどを殺されたという女性が、
自身も収容所で死んだ方がましだと思った、と語っていた。
25年たった今もその傷は癒えないと言う。当たり前だ。
それでも、彼女は25年たっていまそこでそうやってそのときのことを語っている。
こどもたちといっしょに生きている。生きているからこそ語られる、
それが希望なのか、とふと思った。
それがムーディソンの出した答えのひとつだったのかもしれない。